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何かについて差別する人は論理的じゃないなと思う出来事があったのでここに書く。差別する人自身は差別する事柄についてマジョリティ側にいるケースが多いだろう。差別する事柄についてマイノリティ側にいる人が差別をすれば自分に返ってきて自己矛盾を発生するからだ。自分自身がマジョリティであるから差別する。その場合、自分に近しい人がマイノリティだった場合どうなるのか?シンプルに「愛する人」がマイノリティだったらどうするのだろう?親、恋人、夫、妻、子ども、親友。たぶん差別する人はそこで一瞬立ち止まるだろう。そのまま差別を続けるか、考えを改めるか。考えを改める場合、反省を強いられるので、多くの場合差別継続を選択するのではないかと想像する。もちろん、立場を変えても反省することなく厚顔無恥に「差別はいけない!」と主張しはじめる人もいるだろう。最愛の人を差別することになった人は悩みにブチ当るだろう。このままで良いのかと。ボクは子どもができて、その子どもが選択するであろう、あらゆる可能性を認めてゆきたいと思っている。「あらゆる」といっても、ひとつひとつ検証して自分のスタンスを決めたわけではない。ただ単純に「あらゆる可能性に寛容であろう」と心に決めただけだ。差別する人は自然を理解していない。とても不自然な世界で形成された偏った常識でのみ人を判断している。厄介なのは、その考えが自然なものだと思っているところだ。

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